酒井抱一と浄栄寺  



酒井抱一(1761〜1828)

姫路藩主・酒井忠以の弟、江戸琳派の創始者
字は暉真。鶯村、雨華庵とも号する
代表作 「夏秋草図屏風」 東京国立博物館蔵、重要文化財 
 
 酒井抱一と浄栄寺  

・ 寛政九年(1797年)酒井抱一、本願寺文如上人、江戸下向のおり得度し等覚院と称す。

・ 文政二年(1819年)浄栄寺八世 壽徴(雪仙)の二男八十丸(十二歳)が酒井抱一
 の養子(酒井鶯蒲)となる。

・ 酒井抱一の没後 雨華庵二世を継ぎ酒井姓を名乗る。


・ 文政十一年(1828年)十一月二十九日 酒井抱一 往生。等覚院文詮暉眞尊師 
  唯信寺開基(浄栄寺過去帳) ※墓所築地本願寺

・ 天保八年(1837年)十月二十七日 酒井鶯蒲の養母 往生。妙華院貞詮法尼 唯信寺
 養母(浄栄寺過去帳)

・ 天保十二年(1841年)七月二十三日  酒井鶯蒲 往生。行年三十四歳 
 依心院詮眞法師 唯信寺鶯蒲 二代目雨華庵 号獅子光  (浄栄寺過去帳)
 ※墓所築地本願寺

・ 文久二年(1862年)五月二十四日  酒井鶯一 往生。行年三十六歳
 隆正院紹真法師 唯信寺現住鶯一 当寺海生甥善林寺長男林丸  (浄栄寺過去帳)






                唯信寺 雨華庵 系図    

 酒井抱一 (開基)    鶯蒲(二世)    鶯一(三世)
            養子八世香阪壽徴 次男    養子(甥)八世香阪壽徴 五女(善林寺坊守)の子 

   道一(四世)        唯一(五世) 
 養子(鶯一娘の夫)山本素道の子   実子



                                  



富士登龍図 酒井抱一
寛政八年頃 浄栄寺に寄進
(江戸東京博物館へ寄贈)

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紅葉に小禽図 酒井道一
文久二年頃浄栄寺に寄進 
(江戸東京博物館へ寄贈)

   


涅槃図 酒井鶯一
明治末期に浄栄寺に寄進
(江戸東京博物館へ寄贈) 

   

 






富士登龍図 酒井抱一

箱書              裏書

   




酒井抱一と浄栄寺


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