浄栄寺の歴史(江戸時代)

太字は大田南畝(蜀山人)・酒井抱一関係
青字は現存
赤字は新宿区文化財


・元和二年(1616年)一月小澤清兵衛殿、山岡五郎作殿より寺地を寄進され 市谷田町に善乗法師創建。
 (御府内備考・ 浄栄寺記録)

・寛永十二年(1635年)本願寺良如上人、宗祖御影を浄栄寺に授く。
 (築地別院史)

・寛永十四年(1637年)本願寺良如上人・上宮太子・三朝高僧画像を浄栄寺に授く。
 (築地別院史)

・寛永十九年(1642年)御堀御用地に付、南寺町(市谷薬王寺前町)に移る、寺地(七百九十五坪)。
  町割り役人 朝比奈源六殿、 駒井冶郎左衛門殿 
 (御府内備考・ 浄栄寺記録)

・御伝鈔  寛文十二年(1672年)寂如上人より授与

・御文章  貞享元年(1684年)寂如上人より授与

・元禄九年(1696年)三世覚円 梵鐘 鐘楼 建立。
(御府内備考・ 浄栄寺記録)

・宝暦十三年(1763年) 普化宗 鈴法寺二十六世 嘯山勇虎より放下着(尺 八)授与される。

・宝暦十三年(1763年)二月五日、四谷方面より出火し浄栄寺焼失。

・明和二年(1765年)四代目 越前屋吉兵衛らの寄進により八間四面本堂、庫裏 再建。
 (浄栄寺記録)

・明和五年(1768年)十月二十六日 浄栄寺六世 性圓(白獅子・放下着)往生。
 釋性圓法師 行年四十歳(浄栄寺過去帳) 

安永七年(1778年)山門(甘露門)再建。
 (浄栄寺記録)

・天明四年(1784年)築地御坊焼失。
 (御府内備考・築地別院史・ 浄栄寺記録)

・天明五年(1785年)正月 七世性海、浄栄寺八間四面本堂を築地御坊仮本堂として献上する。
 (御府内備考・築地別院史・浄栄寺記録)

・天明五年(1785年)八月 本願寺本山より本堂寄進の功を賞して余間列座位を賜る。
 (築地別院史・ 浄栄寺記録)

・寛政二年(1790) 秋 大田南畝(蜀山人) 浄栄寺で親鸞の伝記(御伝抄 寛文十二年 1672年 寂如上人よ 
 り 授与 )を読む。

・寛政三年(1791)三月三日 大田南畝(蜀山人)が浄栄寺で綿江と放下着(尺八)を見る。

・寛政五年(1793) 六月十九日  浄栄寺で加療中のお賎(大田南畝の妾)死亡、推定三十歳。
 「法名 晴雲妙閑信女」行年記載なし(浄栄寺過去帳)※墓所他寺 
                                                
・寛政七年(1795年)八間四面本堂 築地御坊より戻される。
 (築地別院史・ 浄栄寺記録)
 
・寛政七年(1795年)八月築地御坊 再建 落慶法要。
 (築地別院史・ 浄栄寺記録)

・寛政八年(1796年) 酒井抱一「富士登龍図」を浄栄寺に寄贈

・寛政九年(1797年)酒井抱一、本願寺文如上人、江戸下向のおり得度し等覚院と称す。           

・文化五年(1808年)八世寿徴 鐘楼再建。
 (御府内備考・ 浄栄寺記録)
  大田南畝(蜀山人) 鐘楼再建に賦詩。

・文化六年(1809年)酒井抱一 雨華庵を開く
                      
・文化七年(1810年)築地御坊、御影堂内陣荘厳のための金箔寄進を浄栄寺、光明寺・浄立寺に依頼する。  
 (築地別院史)

・文政二年(1819年) 浄栄寺八世 壽徴(雪仙)の二男八十丸(十二歳)が酒井抱一の養子(酒井鶯蒲)
 となる。

・文政十一年(1828年)酒井抱一 往生。「等覚院文詮暉眞尊師 唯信寺開基」
 (浄栄寺過去帳) ※墓所 築地本願寺

 ・文政十二年(1829年)築地御坊 本堂・諸堂舎、焼失。
  (築地別院史・ 浄栄寺記録)

 ・文政十二年(1829年)再び浄栄寺八間四面本堂を築地御坊仮本堂として献上する。
  (浄栄寺記録)

 ・天保二年(1831年)本願寺本山より本堂寄進の功を賞して内陣列座位を賜る。
 (浄栄寺記録)

 ・天保五年(1834年)築地御坊 仮堂(浄栄寺本堂)焼失。(浄栄寺記録)

 ・天保八年(1837年)酒井鶯蒲の養母 往生。「妙華院貞詮法尼 唯信寺 養母」
 (浄栄寺過去帳)

・天保十二年(1841年)七月二十三日  酒井鶯蒲 往生。行年三十四歳 。
  「依心院詮眞法師 唯信寺鶯蒲 二代目雨華庵 号獅子光」
 (浄栄寺過去帳)※墓所築地本願寺

・文久二年(1862年)五月二十四日  酒井鶯一 往生。行年三十六歳。
 「隆正院紹真法師 唯信寺現住鶯一 当寺海生甥善林寺長男林丸」 
 (浄栄寺過去帳)









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